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創立から昭和20年代まで
昭和11(1936)年 3月、東筑紫学園は「筑紫洋裁女学院」の創立によって、教育の世界への第一歩が刻まれたのである。 昭和16(1941)年 「筑紫洋裁女学院」を創立して5年後、大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発し、国家・国民の存亡をかけた戦いが始まった。 昭和18(1943)年 「財団法人東筑紫技芸女学校」が設立認可され、更なる一歩を踏み出したのである。この女学校は戦後の昭和22年における学制改革によって「東筑紫女子中学校」となった(昭和38年に「東筑紫短期大学附属中学校」、更に平成元年に「照曜館中学校」と名称変更) 昭和22(1947)年 戦後の占領下の混乱の中でその女学校は「財団法人東筑紫学園」に改称された。 昭和23(1948)年 「東筑紫高等学校」が開校され(昭和38年に「東筑紫短期大学附属高等学校」に名称変更)、更にその2年後の昭和25(1948)年には、「東筑紫短期大学」が開学された。 昭和26(1951)年 「財団法人東筑紫学園」を改称「学校法人東筑紫学園」とし、新たに学校法人として出発することになるのである。 昭和27(1952)年 「東筑紫幼稚園」も開園され(昭和38年に「東筑紫短期大学附属幼稚園」に名称変更する)、未だ米占領軍による過酷な占領政策の続く占領下にあって、次々と学園の屋台骨を作り上げていったのである。 -
被占領状態からの独立後の昭和27年から
昭和61年の本学園創立50年まで昭和29(1954)年 短期大学において、新たに2学科が新設された。「保育科(平成元年に「保育学科」に名称変更)」及び昭和33(1958)年に「栄養科(平成元年に「食物栄養学科」に名称変更)である。これ以降、昭和61年の創立50周年に至るまでのおよそ30年間は、東筑紫学園が教育を通して社会に貢献しつつ、その土台を固めていった時代である。 -
創立50年から創立80年まで
本学園が創立50周年を迎えたその年に、激動の昭和の時代を国家元首として担ってこられた昭和天皇が昭和61年にご逝去あそばされ、昭和の時代が幕を閉じた年でもあった。
そして、新しき元号「平成」に改元され、平成の御代が開かれた年に、東筑紫短期大学の被服科が生活文化学科に名称変更されただけでなく、新たな学科として装いを新たにした。東筑紫学園中学校も照曜館中学校に名称変更するとともに、大学受験に特化した英才教育を中心とする進学校として新生したのである。平成10(1998)年 4年制大学と短大専攻科の設立のための設置準備室が平成10年に発足した。「九州栄養福祉大学・東筑紫短期大学専攻科設置準備室」である。
まさに、生き残りをかけた新たな挑戦が始まったのである。平成13(2001)年 九州栄養福祉大学が開学し食物栄養学科が設置された。 平成14(2002)年 東筑紫短期大学に専攻科介護福祉専攻が設置された。 平成16(2004)年 2年後には、国立の労働福祉事業団九州リハビリテーション大学校を継承し、学校法人東筑紫学園専門学校リハビリテーション大学校として開学した。 平成17(2005)年 九州栄養福祉大学大学院を開学し、食物栄養学研究科食物栄養学専攻修士課程(平成24年に食物栄養学研究科を健康科学研究科に名称変更を行う)を設置した。 平成18(2006)年 東筑紫短期大学に美容ファッションビジネス学科を設置し、被服科から始まった学科が、トータルファッションを掲げて、新時代のファッションの先端を行くべく生まれ変わったのである。 平成23(2011)年 九州栄養福祉大学リハビリテーション学部理学療法学科、作業療法学科を設置し、専門学校九州リハビリテーション大学校を発展的解消し、大学学部として昇格させた。 平成29(2017)年 福岡及び九州で大学附属幼稚園としては、初めての認定こども園として社会及び国家の要請に応えるべく「認定こども園東筑紫短期大学附属幼稚園」が開園した。
九州栄養福祉大学が開学してからの今日までのおよそ20年間、まさに、ピンチをチャンスに転換する怒涛の進撃ともいえるものであった。そして、幼稚園から中・高等学校そして短大・大学・大学院までの総合学園として、これからの更なる100年に向けて東筑紫学園は、「筑紫の心」という筑紫魂に基づく建学の精神による人間教育に基づき社会に貢献し続けていくのである。