ABOUT

学校法人東筑紫学園は、本学園の寄附行為第3条「この法人は、教育基本法及び学校教育法に従い、学校教育を行い、本学の建学の精神に基づく人材を育成することを目的とする。」の規定に従い、同寄附行為第4条に、九州栄養福祉大学、東筑紫短期大学、東筑紫学園高等学校、照曜館中学校、認定こども園東筑紫短期大学附属幼稚園を設置しています。本学園の寄附行為第4条に書かれているように、本学園における各学校は、教育基本法及び学校教育法の理念に従い、本学園の建学の精神に基づく人材を育成することを目的として設立されています。





SPIRIT

本学は宇宙の根源をなす神の意志を以て心とする平和理念に基づいた教育を根本方針とし、学長自ら堅い信念と、強い実践力を以て其の陣頭に立ち、高い教養と豊かな情操を養い、心・技・美、一如の実際に即した専門教育を授け、心身共に健全にして、人類社会の福祉に貢献できる人材を育成することを建学の精神としている。

沿
 

HISTORY

学校法人東筑紫学園は、本学園の寄附行為第3条「この法人は、教育基本法及び学校教育法に従い、学校教育を行い、本学の建学の精神に基く人材を育成することを目的とする。」の規定に従い、同寄附行為第4条に、九州栄養福祉大学、東筑紫短期大学、東筑紫学園高等学校、照曜館中学校、認定こども園東筑紫短期大学附属幼稚園を設置しています。創立以来東筑紫学園の教育は、「筑紫の心」という建学の精神に基き、社会に奉仕する人間像を理想とする「魂の教育」に力を入れている学校法人です。









ORIGIN

本学園の校名となっている「筑紫」とは、古代から九州を指す地名であったが、厳密には、北部九州を指していると考えられる。更に、現在の福岡県でいえば、南部を筑後、北部を筑前、中部を筑豊と言っており、記紀(きき)(古事記・日本書紀)における神武(じんむ)天皇(およそ2700年前に日本が建国された時の初代の天皇陛下)の御東征(日本の中心である奈良に都を建てるために九州から諸豪族を統一しながら移動したこと)のとき、北部九州を「筑紫(つくし)・豊国(とよのくに)」と呼び、当時、豊国は、北部を豊前(小倉北区・小倉南区・門司区と筑豊地区の東部の田川市と大分県北部の中津市・宇佐市までを含む)、更に、南部を豊後と呼んでいることから、「筑紫(つくし)」とは、地域としては、九州全体若しくは、北部九州(現在の八幡東区と小倉を境とする)を指す地名であったと考えられる。
現在の東筑紫学園は、小倉北区と小倉南区に立っているが、学園創設のときは、現在の八幡東区(筑紫)が発祥の地であり、古代から「筑紫」と呼ばれる地域であった。

筑紫の地名と校名の歴史的由来